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あれこれゲームやってます。


by amatan03

外は寒いのに

派遣残酷物語のリンク集~
携帯でうろうろされてる方、読み物にどうぞw

派遣切り無情…妻と離婚、50歳元教師はホームレス同然

世界的な金融危機の影響で増加を続ける“派遣切り”。「このままでは平成21年を迎えられない」…契約を解除され、仕事を失った派遣労働者の窮状を訴える声は、年の瀬が近づくとともに大きくなっている。三重県の駅構内には、蓄えもないまま派遣先の寮から立ち退きを求められ、ホームレス同然の生活を余儀なくされた50歳の男性の姿があった。「屈辱感と寒さで…」。体の震えはなかなか止まらなかった。

 「申し訳ないが、今回の契約満了をもって終了とさせていただきたい」

 木枯らしが街を吹き抜けた11月半ば。三重県四日市市の大手メーカー半導体工場に勤務していた男性(50)は、登録していた派遣会社から今月末で終わる雇用契約を更新できないと告げられた。工場では秋ごろから業績が急速に悪化、約80人いる派遣労働者との契約を打ち切る方針が打ち出されたのだ。

 ほんの数カ月前までは、“次”の職場を斡旋(あっせん)してもらえた。だが、派遣会社の担当者は、無情にこう続けた。「こちらでも探してはみますが、なにぶんこの情勢ですから…ご自分でも探してください」。事実上の解雇通告だった。

 男性は、ハローワークで紹介された約20社を回った。「年はいっていますが体は丈夫です。使ってください」。必死に訴えたが、どこの採用担当者も判で押したように同じ反応だった。「35歳ぐらいまでならなんとかなるけど、その年齢ではね…」。すべて冷たく断られた。

 工場の寮からは退去を余儀なくされた。所持金はおよそ8万円。身の回りの品を詰め込んだスポーツバッグ2つを手に、駅構内で雨露をしのぐ生活が始まった。初めて野宿をした夜は、「寒さと恥ずかしさ、屈辱感で思わず涙がこぼれた」。

   ×    ×

 鹿児島県出身。大学卒業後、福岡市の市立中学校で社会科教諭をした。学校の管理職と保護者の板挟みに悩み、平成元年に退職。情報技術系の専門学校に講師として再就職したが、少子化の波が押し寄せ、16年に閉鎖。妻とも離婚した。

 この年、当初は専門性の高い職種に限られていた労働者派遣法が製造業にも解禁され、大勢の派遣労働者が市場に生まれた。40代半ばになっていた男性も「一から仕事を始めてもある程度の収入が見込める」と、「派遣の世界」に飛び込んだ。

 最初の勤務先は大分の自動車工場。残業も含めて1日約12時間、重い部品を運ぶ重労働だったが、「手取りで40万円近い月収があった」。教師時代に故郷の鹿児島に一戸建てを購入しており、毎月返済を続けてきた。まだ300万円ほど残っているという。しかし、今の状態では、とても支払えない。

 この家には84歳になる母親が今も暮らしている。毎月少ないながらも続けていた仕送りも、できなくなった。心配をかけたくないから、工場を解雇されたことは告げていない。

 面接の交通費代がかさみ、所持金は約3000円まで減った。「どんな仕事でもいいから働きたい。母には決まったときに連絡するつもりです」。そう力ない言葉を発した男性は、恨めしそうに冬空を見上げた。




「派遣切り」悲鳴殺到 職も住も失い…「年が越せない」

世界的な景気の冷え込みが加速する中、メーカーが派遣会社との契約を更新しない「派遣切り」の動きが広がっている。厚生労働省が先週発表した集計では仕事を失う派遣社員は1万9775人。工場の寮を追われ、野宿生活に追い込まれるケースが目立つほか、住所不定から企業の信用を得られず、次の派遣先が決まらない悪循環に陥る人も出現するなど事態は深刻化している。師走に入り、解雇が加速するという見通しもあり、派遣社員から「このままでは年が越せない」との悲鳴が上がっている。

 ≪相談480件≫

 トヨタ自動車が本社工場を置く愛知県豊田市。関連の部品工場で働く30代の男性は9月、解雇を言い渡された。契約は、あと1カ月余り残っていたが「不況」を理由に突然、宣告されたという。「すぐに出て行ってくれ」と、次の派遣先も決まらないままに寮を追われた。当初は、ネットカフェなどで寝泊まりしていたが、薄い蓄えはすぐに底を尽き、今はホームレス生活を続けながら職を探す。
 「どうすれば現状を打破できるのか教えてほしい」と男性は支援団体に訴えたが、解雇した工場では受け入れる余力はなく、解決先は見いだされていない。

 男性は、労働組合の派遣ユニオンが11月29、30日に全国各地で設置した「ホットライン」に、こうした窮状を訴えた。同ユニオンによると、2日間で、約480件の相談が全国の派遣社員から寄せられたという。




自動車産業、契約切りの嵐 「頭が真っ白」「住む場所は…」

 誰がこの事態を予測しただろうか。12月に入り、景気悪化で私たちの雇用を取り巻く環境が一気に厳しさを増してきた。借り上げマンションや会社の寮から退去させられるなど、とりわけ、派遣や契約社員、期間従業員といった「非正規雇用」の人たちが直面している問題は深刻だ。それは男女に関係ない。彼ら、彼女たちの師走を追う。

 「業績が急激に悪化している。申し訳ないが12月26日で辞めてもらうことになった」

 「いすゞ自動車」栃木工場(栃木県大平町)の期間従業員、吉田喜代治さん(48)=仮名=が“契約切り”を宣告されたのは先月17日のこと。仕事中に突然、休憩室に呼び出された。製造工程責任者と労務課長から、A4判の解雇予告通知書を手渡された。9月末に、来年4月7日までの半年契約が結ばれていたはずだった。

 この日だけで6人が契約打ち切りを通告された。その光景を見ていた吉田さんの同僚、星野貞雄さん(60)は「部屋から出てくる仲間は目が血走り、顔色がなかった。声をかけられなかった」と話す。

 いすゞが打ち出した人員削減は、栃木、藤沢(神奈川県)工場の期間従業員や派遣社員の計1400人。

 トヨタ3000人▽日産1500人▽マツダ1400人▽三菱1100人▽富士重工業800人…。ほかの自動車メーカーでも削減が行われる。1年前まで、戦後最長を記録した日本の景気拡大を牽引(けんいん)してきた自動車産業を襲った雇用崩壊。その勢いは、まるで今年の流行語になった「ゲリラ豪雨」のようだ。

                  ■

 「信じられない。頭の中が真っ白になった」と吉田さん。次に浮かんだのが「住む場所はどうなるのか」。会社側は「12月26日から1週間は住んでも構わない」と言ってきた。「1週間後ってことは1月3日。そんな時に開いている不動産屋なんてあるのか…」。その後、3月末まで6畳一室の寮を利用できることにはなったが、雇用への不安を抱えたまま年末年始を迎えることに変わりはない。

 いすゞの広報部は「減産による会社の都合でやむを得ない。契約に沿った正当な措置」と話す。

 吉田さんは鹿児島市出身。高校卒業後、地元で自動車関係の会社にいた。「関東で働いてみたい」と6年前に単身上京。いすゞの川崎工場で、派遣社員として働き始めた。

 3年前に栃木工場に異動。平成18年10月には会社から直接雇用される期間従業員になった。「派遣に比べて、会社に直接雇用される分だけ、身分が安定した」と思っていたという。

 工場では組み立てラインに部品を運ぶ担当だった。

 「正社員に負けない自信もあった」


                  ■

 来年は、製造業を中心に派遣社員の多くが契約期限切れとなり、一斉に解雇される「2009年問題」が懸念されてきた。

 派遣社員、期間従業員などの非正規雇用に関しては、労働者派遣法や有期雇用法で、最長の契約期間が最長3年と定められている。会社はその後、契約を打ち切るか、正社員登用など別の雇用契約への切り替えを行う。吉田さんらの工場でもそれまでの好況を背景に、会社は期間従業員を、積極的に正社員として登用する制度を4月に導入。65人が正社員として採用されたという実績もあった。

 しかし、100年に1度ともいわれる景気悪化。2009年を迎える前に、各メーカーは「派遣切り」へと一斉にかじを切った。「いずれは正社員に…」。吉田さんの夢も、もろくも崩れた

 仕事への愛着を捨てきれない吉田さんは、仲間4人と今月3日に労働組合を結成。契約期間内でされた解雇予告の効力停止を求める仮処分を申し立てた。

 期間従業員が労組を立ち上げたケースはめずらしい。多くのメディアが集まった組合結成会見で吉田さんは「泣き寝入りはしない」と語った。翌日から、仲間たちには支援を、会社には団交を求める工場正門前でのビラ配りが始まった。仲間は20人に迫る勢いだ。だれもが年の瀬にビラを配ることになるとは思っていなかった。

 そのなかの一人は「不動産屋は『いすゞ』と口にしただけで相手にしてくれない。住居探しもままならない」と漏らした。


「なぜ使い捨てられるのか」…バッグ一つで寮追われ


働く意欲も、時間も、体力もあるのに、その機会を奪われる。「はたらく」ことの意義を考える連載を始めるにあたり、序章として、働けなくなってしまった人たちの苦悩を伝える。

 ◆営業スマイル◆

 空は高く、底冷えのする朝だった。今月19日、金曜。日産ディーゼル工業上尾工場(埼玉県上尾市)の派遣社員だった佐藤猛さん(40)(仮名)が、寮の玄関ドアのカードキーを引き抜いた。カチッと乾いた音がしたが、いつものくせでノブを回して施錠を確かめてしまう。ドアの前で待っていた派遣会社の男性社員に、無言でカードキーを手渡した。これで〈職〉も〈住〉も失った。顔を上げると、営業スマイルが待っていた。「お疲れさま!」

 ◆「寝袋買わなくていいのか」◆

 工場ではトラック部品を仕分ける作業を担当した。「手を抜けば仕事を失う」と必死だったが、同僚より忙しい仕事を任された責任感が心地よかった。北海道・夕張市出身の派遣仲間と意気投合し、人間関係の悩みを相談し合った。

 11月17日の終業後、派遣会社から工場の食堂に呼び出された。約50人の同僚がいた。テーブルに、それぞれ12月18日付解雇予告通知書が置かれている。食堂はざわめいていた。「ここで怒って派遣会社から仕事をもらえなくなれば、死ぬしかない」。ぐっとこらえた。

 12月20日までに寮を出るよう求められた。寮費などを引かれ、収入は手取りで月約10万円。持病のぜんそくの治療費もかかり、貯金はなかった。路上生活を余儀なくされる同僚もいると聞く。「お前は寝袋を買わなくていいのか」が、仲間内のあいさつとなった。

 ◆派遣切り2万人「氷山の一角」◆

 9月の米証券大手リーマン・ブラザーズ破綻(はたん)に端を発した金融不安は、日本の輸出関連産業を直撃した。自動車大手も軒並み減産を発表。余った労働力は「正社員より切りやすい」(連合幹部)非正規労働者の削減という形で表れた。

 厚生労働省の調査(11月25日現在)では、今年10月~来年3月に職を失ったか、失う予定の非正規労働者は3万人超。うち派遣労働者は約2万人。「この数字も氷山の一角」(同省幹部)だ。

 「2009年問題」も人員削減の流れを加速させる。製造業への派遣は04年に解禁となり、07年3月に勤務期間が最長3年にまで延長された。延長を見込み、06年から派遣受け入れ企業が急増したため、09年に契約期限を迎える派遣が続出するのだ。「企業は今、不況に乗じて09年問題も片付けようとしている」。労組幹部は危機感を募らせる。

 ◆「クビになったんや」に母無言◆

 猛さんに新しい仕事は見つからなかった。大阪で生活保護を受けて暮らす70歳代の母に電話した。「今の会社、クビになったんや。家に帰るわ」。母は無言だった。自分が情けなく、すぐに受話器を置いた。

 8畳一間の寮は布団もテレビも冷蔵庫も備え付け。着替えだけを押し込んだスポーツバッグ一つを肩に、寮を後にした。2日前に風邪を引き、途中の薬局で買った薬をJR上尾駅のホームでのんだが、熱と不安で頭はもうろうとしていた。

 知人に別れを告げるため、東京・立川市に寄った。街は忘年会でにぎわうサラリーマンであふれていた。

 「まじめに働きたいと思っている人間が、なぜ使い捨てられるのかな……」

 そう言い残して、猛さんは大阪へ帰る夜行バスに乗り込んだ。











・・・・「年が越せない」ねぇ・・・
だったらずっと2008年でいいじゃん!

と思いました^^;
Commented by 名も無き修羅 at 2008-12-27 21:53 x
あまたんの頭の中もずっと春のようでいいですね^^
Commented by いつも見てますが at 2008-12-28 07:49 x
若干メディアに影響されすぎなのと
貴方の様な方がいる会社が少しかわいそうになりました。
Commented by amatan03 at 2008-12-29 10:22
>名も無き修羅様
ええ、不景気の実感が全くございませんので世間様の厳しい人達から見ると全く危機感の無い春っぽい頭をしているかもしれません。
それが悪い事かと言いますと・・・別に政治家とかでもないしね、私。イインジャナイ?

>いつも見てますが様
メディアを鵜呑みにしているわけではありませんし、特に酷い内容をオーバーに報道しているのかもしれませんが…
読み物として「ふぅん」と思える内容ですので貼り付けた内容になります。実際は民間だってどこも雇用しませんよって言ってるわけでもないですし、寮だって結構支援があるようですしそんなでも無いのかなぁと思っていますが。

あと、会社では勿論ネコ被ってますよ^^
私やあなたも含めて心の中では皆何思ってるのか解ったものではないですね。
私は違うと思われる方はここ読んでも不快でしょうし逆もまたあるでしょうし。
それぞれの立場によって様々だと思いますが、それをリアルで声高に言っちゃう人って稀だと思いますよっと。
言うべき事は言いますが、言わないで済む事は現実では言わない方が良いのです。
派遣地獄に関しては別に議論したい事でもないです、関係ないし。
by amatan03 | 2008-12-27 20:59 | BOT&チート&寄生業者 めぇ関連 | Comments(3)